RKHJNSAK 毎日ブログ

娘と母の毎日ごと

坂の途中の家 12冊目 読書後記

角田光代さんの最新刊

”八日目の蝉”といい”対岸の彼女”といい

子供がいないとは思えないリアルな実情を描ける

力をもった作家さんだといつも思う

ほぼ同世代。同じような時代を生きてきている

だからこそ読むたびに考えさせられる

そうそう、こういう言葉であらわしたかったというような表現があちこちにある

 

今回の作品の主人公は里沙子

水穂という女性が自分の子供をあやめてしまった事件の裁判の

裁判員裁判の補充裁判員に選出される

 

審理を進めていくうちに、自分(里沙子にも子供がいる)の状況とシンクロしてきて

自分に置き換えてしまうようになる

一見、理性的に行動しているように見える里沙子の内面には葛藤があり

「余裕のないときに、思いついた言葉を投げつけたりしてはいけない」

と自分の行動を冷静に見ることができる一面もある反面

夫の行動を深読みしすぎて自分を逆に追い詰めたりしている

世の中にはたくさん”里沙子”はいるだろう

 

彼女は実の親とも折り合いがよくない

義理の両親とは、表面上うまくやりながら

義母の言葉に、日々傷つけられている

かなり内容的にもかなり重い小説ではある

 

母親というものは、いろんな意見に接し、

初めて経験する”母親”という自分の立場に自信を持てずにスタートする

産まれたときの嬉しさをいつも忘れないようにと思っていても

ふとしたときに、ダークな底なし沼に陥ってしまうこともあるのだ

1歳くらいまでの子育ては、

悪意なく放たれた言葉に傷つき、

孤独の中子育てをしていると

すべてが自分が悪いといわれているような錯覚に陥ってしまうものだ

 

母は産休が短かったので孤独を感じる時間は少なかったけれど

たった3ヶ月でも、それでさえも、

娘とふたり、自分を励ましながら、すごした日もあった

涙が止まらないそんなときは、明るく歌いながら、

古い社宅のお風呂に入っていたときもあった

 

どんな理由があろうとも、自分の子供をあやめるなんて言語道断なこと 

だけれども、母親がそこまでにいたるにはさまざまなことがあったということだ

虐待が増えている現状に、今回の小説は1つの事例を挙げたように思える

苦しい、苦しい小説だ

 

傷つけるのも言葉であり、ひとであるように

救ってくれるのも言葉であり、ひとである

そして、言葉を掘り下げて考える

いったん冷静になって、違う角度から考えてみる

 

主人公である里沙子は最後にそれができるようになった

重い内容の小説に、その部分が光を持っている

 

母は完全にB型の人間だけれども

自分のいいたいことだけを言うのではなく

相手がそのことを聞いたときの相手の気持ちを考えられるひとになりたいと

この年齢になってもまだまだなれていない自分を思う